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オリジナルショートストーリー

僕の日記

こんな気持ちがあるなんて、知らなかった――――。


僕はまだまだ駆け出しの役者だ。だけど嬉しいことに、人気俳優たちがキャスティングされて話題沸騰のドラマに出演することが決まった。僕の役どころは主人公の弟。いつも姉のことを口悪く言っているけど、本当は信頼している家族の関係。物語はボクとは全然違うところで動いていて、僕が登場するのはコメディタッチな部分でだけだ。主役の女優は今人気絶頂中の雪羽。数年前までは三人組のユニットを組んでアイドルをしていたらしいけど、僕は残念ながらその頃テレビにまったく興味がなかったからよくは覚えていない。ただ、そのアイドルが殺人事件に巻き込まれて巷をにぎわせていたことは知っている。
「アイドル出身の女優はやりにくいんだよな」
 父がポツリと呟いたのを覚えている。
 どういうことだろう。僕にはよくわからないし、僕ができるのは与えられた役をしっかり演じてドラマを見てもらうことだけだ。そう思って控え室のドアをノックすると、中から緊張気味の雪羽の声が聞こえた。
「あの、今回のドラマでご一緒させていただくことになりました、野々宮悠馬です。これからどうぞよろしくお願いします」
 僕は昨夜からずっと考えてきた言葉でお辞儀をし、挨拶をした。控え室から顔を出した雪羽は僕を見るなり穏やかに微笑みかけ、そして、いきなり僕の頭をグシャグシャとかき乱した。
「ぅわっ! なにするんですか!」
 あまりにも急なことに、僕は後ずさり雪羽の顔を見る。
「ご、ごめんなさい! 私、仲良くなりたくて・・・・・・」
 みると雪羽の顔は緊張で歪んでいた。一体なにを考えているんだ、この人は。
「仲良くって・・・・・・」
「と、とにかく中に入って? 私、ちゃんと謝らなくちゃ」
 おどおどした様子で僕を部屋にいれ、雪羽は目の前にちょこんと座った。
「あ、あのね? 悠馬君は私の弟役だよね?」
 昨日顔合わせしたでしょうが。
 僕は素直にそう思って、小さく「はい」と返事をした。すると雪羽は申し訳なさそうに、だけど真剣な眼差しで僕の目を見つめた。
「あ、あの・・・」
 こんな距離でまっすぐな瞳を向けられたことなんかなかったから、僕は急に胸がドキドキしてくるのを感じた。
「あのね? 私、まだまだ役者としてうまくやっていけてなくて、だけどちゃんとお仕事したくて、だから・・・・・・」
「だ、だから、なんですか?」
 ちくしょう、間近でみるアイドルは肌がすごく綺麗で唇もなんだかつやつやしてる。なんだよ、学校の女どもとは違いすぎるよ、なんなんだよ。
「だからわたし、悠馬君とはちゃんと自然に家族みたいになりたいの!」
 ・・・・・・・・・はい?
「カチンコがなってすぐに親しい演技・・・とかできなくて、遠慮しちゃったりするような気がするの。だから、普段からちゃんと仲良くなって、本当に気心知れた関係になりたいと思ったの。だから私あんなこと・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、悠馬君」
 オンオフ切り替えられるからこそ役者としての演技力も知名度も上がっていくってのに、いきなり下準備かよ。
 僕はこのとき、生意気にも目上の女優を可愛いと思ってしまった。僕よりキャリアもあって年上で、何よりこのドラマの顔である雪羽を、可愛いと思ってしまった。
「カチンコなったら演技するのが役者でしょうに」
 思わず口をついて出た言葉が雪羽を傷つける。予想通りに雪羽は、俯いてしょぼんと肩を落とした。やっぱり可愛いかも。
「そう、だよね・・・・・・ごめんなさ」
「『だからねぇちゃんはどうしようもないんだよ』」
「え?」
 僕はドラマで最初に雪羽と交わすセリフをあてて笑顔を向けた。
 この先ドラマが進行するに当たって、彼女は相手役の俳優と恋に落ちる。その中で揺れ動く彼女の心を支えるのが、僕の家族としての役割だと、僕は脚本から学んだんだ。だから、雪羽が悩んで「こうしたい」と思ったことなら協力してもいいと思った。
「だけどあくまで役作りのためだよ? 僕は無名の役者なんだから、他のスタッフたちのいるところで最初から姉ちゃんと親しげになんて出来ないよ」
「悠馬君・・・・・・」
「ほら、弟に君付けはしないだろ? 普通。僕もしばらくは二人きりのときだけ姉ちゃんって呼ぶし、言葉遣いもそれなりに砕けた感じでいいんだろう? 姉弟なんだから」
 慣れるまではすごく大変そうだと覚悟して、一人っ子の僕は慣れない“姉弟”のフリをした。雪羽もこれに乗ってくれるといいんだけど。そう思いながら、僕の最初の挨拶回りはスタートしたんだ。



 そうして始まったドラマの撮影。僕の役どころは“家族”だから、学校のシーンがメインの雪羽とはなかなか会う機会がない。あったとしてもご飯食べてるシーンとか両親役のひとたちが彼女を心配している様をどうでもよさそうに見てるだけのシーンとか、はっきりいって”仲良くなる必要“なんてなかったんじゃないかとさえ思う。
「なんだよ、雪羽自然に演技できてるじゃん」
 収録の空き時間に雪羽を見ていると、相手役の俳優とうまく演技を交わしていて、いがみ合うようで実は惹かれあっている様子がモニターから流れてきていた。監督も一度二度のテイクですんなりOKを出すようになっていて、モニターの中の雪羽たちは本物の恋人みたいに見えた。
 雪羽はアイドル出身だけどちゃんと女優の道を歩んでいる人なんだ。僕はまだこの業界に入って数年しか居ないけど、根本的に彼女とは持っている才能や資質が違うのかもしれない。
「なんだよ、仲良くなりたいとかいっときながら」
 もしかしたらあの相手役のヤツとも同じように“仲良く役作り”しているのかもしれない。そう思ったら、僕は急に胸の中がもやもやして苛々してくるのを感じた。
「って、僕もなに考えているんだか。僕は役者だぞ。無名だってなんだって、役者なんだから」
 そうさ、カチンコがなれば演技できる。泣けと言われりゃ泣ける役者なんだ。なにが気心しれた関係だよ。
 モニターの中の主役たちは三角関係や四角関係になってどろどろしたような展開を見せるけど、雪羽も本当に泥沼な関係になればいいんだ。それで週刊誌に写真とか撮られて困ればいいんだ。
 僕はそこまで考えて、ふと気がついた。
「なに考えてるんだろう」
 気がつけばいつも雪羽のことばかり考えて、目が離せなくなっていて、雪羽が他の誰かを見て幸せそうな顔をすれば困らせたいと思って、僕を見て笑ってくれれば嬉しくなって・・・・・・。これじゃまるで僕は雪羽のことが好きみたいじゃないか。
「スキ・・・・・・?」
 口に出したら急にそれが身体中を支配して胸がいっぱいになった。これってやばくないか?
 そんなときに限って、雪羽は僕の傍にやってくるんだ。ちょっとした休憩の合間に、レモン水を片手に、何気ない顔して・・・・・・。
「悠馬? ほらほら、お姉さまが飲み物持ってきてあげたわよ」
「あ、ありがと」
「やだ、どうしたの? ありがとうなんてあんたの口から出てくる言葉?」
 雪羽はあれからずっと役柄を通して僕を見る。雪羽の目に映る僕は主人公の弟。言葉遣いも仕種もナチュラルになって、この間はスタッフに『本当の姉弟みたいね』なんていわれたほどだ。
 雪羽の演じる主人公の女の子は明朗快活で周りを明るく出来るムードメーカー。能天気といわれたらそれまでだけど、ちゃんと優しさも持ち合わせていて、好きな相手にはまっすぐぶつかっていく。そして、多少口が悪い。この役どころは清純派のイメージで売ってきた彼女には新境地に違いない。僕のことを「あんた」と呼ぶ様も、ようやく回りに溶け込んできたところだ。
「う、うるさいよ。って、あれ? これキャップが空いてる・・・・・・」
「ああ、大丈夫だよ。私、いま風邪とかひいてないから」
「えっ!?」
 あっけらかんと言ってのけるが、それは雪羽と同じペットボトルの水を飲むということなのか?!
「なによ、お姉さまの飲んだものは飲めないとか思ってるわけ?」
「そそそそ、そうじゃないけど!」
 間接キスっていうやつでしょ! それは!
 僕は慌ててペットボトルのキャップを閉めた。不服そうな顔の雪羽を視界の隅に感じながら、休憩の終了を知らせるADの声にホッと胸をなでおろした。




 雪羽をスキなのかもしれないと感じてから、僕は勉強のためといってはスタジオに入り浸るようになった。藤ノ宮の芸能学科に在籍しているからこその特別待遇。これでも単位がもらえるのだから芸能人を目指してよかったと思う。
 今日はいよいよドラマ後半の撮影ということで、主人公たちは熱いバトルを繰り広げながらそれぞれの恋を成就させるべく奮闘している。雪羽を思うクラスメイトの心情に、少なからず同調する僕の心。どんなに彼女を思っても、彼女はもう心を決めてしまっているのだ。決して振り向かれることのない愛。僕のこれも、やっぱりそうなんだろうと思う。
 演技力を身につけるために交わした約束。
 それが今の僕には重かった。
「どうしたって、僕は弟だもんな」
 間接キスでさえもためらいなく出来るほどの距離。だけどそれは雪羽にとって僕が“眼中にない相手”であることを決定付けただけだった。
 ブラウン管の中で雪羽が思いを告白している。
『いつの間にかあなたをスキになってた。ほかの人では考えられない』
 そんなセリフを、演技とわかっていても・・・・・・・・・僕は聞くのがつらかった。



 さすがに人気の歌手や俳優がたくさん出たこのドラマは、毎週いい視聴率を記録して、大反響の中クライマックスを迎えた。そしてしばらくして特番が開かれたが、当然そこに僕の席はなかった。
 このドラマで少しだけ知名度が上がったけれど、そこまでだ。所詮というべきか、後ろ盾もない駆け出しの役者に、生放送の特番へのオファーなどくるはずもない。このドラマには個性的な役者がたくさん居たのだから。
「いいなぁ、ちくしょう」
 家のテレビでの放送を見るしかない僕には、そこに映る役者たちの姿がまぶしく見えて、別世界なんだと痛感させられる。そこで繰り広げられるトークには笑いとどよめきと拍手とが織り交ざっていて、みんなと共に笑う雪羽がいつもよりもずっと遠く見えた。
 司会者の質問に相手役の俳優と見つめあう瞬間や、仲良く裏話を語る姿、打ち解けたように笑い合う雪羽に、いつしか僕は涙をこぼしていた。
 なんて遠い場所に居るんだろう。
 僕は雪羽に、男として見られたことがない。あんなふうに見つめられたことなんか、一度もないんだ。
 僕は駆け出しの役者。このドラマが終わってしまった今、次に共演できるのは夢かもしれない。たとえ共演できたとしても、雪羽はもう、僕のことなど忘れてしまうに違いない。
 雪羽は女優として、成功したのだから。



 どさくさに紛れて持ち帰ったあの日のレモン水は何もしないでそのまま水道に流して捨てた。僕の部屋に残るのは空っぽになったペットボトルだけ。共演したことも、仲良くなったことも、あの日僕に雪羽がこれをくれたのも、夢じゃないって信じるために、僕は机の引き出しにそっとそれをしまう。いつか捨てられるときがくるだろうか。僕は初めて味わった胸の痛みに、最初で最後の涙を流した。
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