stray sheep
初恋のかけら
「なにそれ、信じらんない! なんなの、あのばか犬!」
開口一番に、マドカが大声で吼えた。
「そう、だよね・・・・・・」
メールによって(大まかにだけれど)、事の顛末を知ったマドカは、これまでになく怒りを爆発させて電話をかけてきた。アキナのように優しく包み込むのではなく、ストレートに、感情のままに。
「てかなにその伊達って男。思い知らせてやったほうがいいよ! カイリはバカ犬のもんだってさ!」
「べ、別にテッタのものじゃ・・・・・・」
「あんたもここまで来てなに言ってんのかねぇっ? 失恋したってメールよこしたの誰よ。いい加減認めたんでしょ? バカ犬がスキだってさ」
そう、だけど・・・・・・。
「あたしはね? カイリ。あんたがあのバカ犬から逃げ回ってんのも、焦らしてんのもいいと思ってたよ。いつかはくっつくんだって思ってたから。だけどね、やっとカイリの気持ちが向いたって時にこんな裏切りは我慢できない! 辻本先輩からカイリを守るんだって言った音羽はどこ行っちゃったのよ!」
受話器の向こうでマドカの部屋のテーブルがすごい音を立てた。
マドカ・・・・・・。
「ちょっと今からあいつ呼び出して説教してもいいよね?」
「えっ?」
「いいよね?」
「あ・・・・・・・・・え、と」
聞いておきながら、マドカは有無を言わさない。
「よし。じゃ切るね?」
「あっ」
そういってマドカはすぐさま電話を切った。このままでいくとテッタは確実にマドカの罵詈雑言に打ちのめされるだろう。だけど。
だけどもしテッタが、今までのことは全部冗談だったと自白したら?
好きだって言われて真に受けた自分のことをかわいそうだといわれたらどうしよう。
アキナがかけてくれた優しい言葉を信じようと思うけど、見つめる先の拳は震えて止まらなかった。
こんなに弱いなんて思いもしなかった。
「テッタ。信じたいよ・・・・・・」
――――――遠くで飛行機の飛び去る音が聞こえた。離陸したばかりの大きな機体は小さなローラーを収納して空へと羽ばたいていく。
あれ? どこかで見た風景・・・・・・。
見渡すと草むらの緑が広がる空港公園のジャングルジムに小学生くらいの少年と少女が並んで空を見上げている。
っていうか、ここはどこ?
見たこともない公園に見たこともない風景。なのになぜか懐かしさを感じる。だけどこんな場所知らない。
耳を澄ましたわけでもないのに少年の声が耳に届いた。
「僕は必ず約束を守るよ。カイリちゃんをずっと守っていくんだ。約束だからね」
少年はそういってジャングルジムの上の少女に笑いかける。
約束?
ふにゃっとした笑みの少年は少女に手を伸ばすと、その手の中に何か光るものを持っていた。二人は笑い合い、そして手をつないで目の前を通り過ぎていく。
あのこ、テッタに似てる・・・・・・。
少年を目で追って振り返った、その瞬間、視界がぐにゃりと曲がった。
な、なにこれ!
まるで暗い色の絵の具を一気に搾り出してそのまま絵筆でかき混ぜたみたいな一瞬だった。そうしてその渦の中、眩い閃光が走ったかと思った次の瞬間、耳障りで激しいブレーキ音が辺り一面に鳴り響いた。
「きゃぁぁっ!」
耳を塞いでしゃがみこんだものの、すぐ側で炎上する車の焔が瞼の向こうに焼きつく。
なんなの? なんなのよ、なんで急にこんな―――。
――――カ・・・リさ・・・。
燃え盛る焔の中、誰かが・・・・・・。誰かの目が、こちらを見た―――。
「カイリ?」
「きゃぁぁっ!」
不意に肩を掴まれて自分でもこれ以上ないくらいに驚いて跳ね起きた。目の前に広がるのは車でも焔でもなく、自分の部屋の緑色のカーテン。そして肩を掴むのは心配そうな母親の顔。呼吸困難に陥ったような、短くて浅い呼吸が、コメカミを伝う汗と共に現実に引き戻した。
夢、見てたんだ・・・・・・・・・。
「カイリ大丈夫?」
「う、うん。だい・・・じょうぶ」
本当は大丈夫なんかじゃなかった。傍にいて、これこそが現実であると実感させて欲しかった。―――けれど突然叫びだした娘に動揺した母の顔を見て、子供みたいな真似はしたくないと、虚勢を張った。
「カイリ?」
「ちょっと怖い夢を見ただけだから・・・」
ふと時計を見ると、七時半を回っていた。どうやら転寝してしまったらしい。
「怖い、夢?」
「うん。なんか、車が炎上して・・・・・・ううん。なんでもない。ごめんね? ごはん、だよね? すぐ行くから」
そっと背中をさする母の顔が青褪めたように見えたけど、そこを気にかけられるほど、このときの私は平静ではなかった。できるだけ早く、忘れてしまいたかったのだ。
そのあとは結局、眠れなかった。
うとうとしても、目を瞑った瞬間あの焔が鮮明に蘇って動悸を激しくする。
怖い夢を見て眠れなくなるなんて、子供の頃以来だわ。あのころはどうやって眠ってたんだっけ。・・・・・・・・・あ、あれ?
「どう、してたんだっけ・・・・・・」
大概の子供がそうするように父や母の布団にもぐりこんだ記憶はない。
怖い夢。車が炎上して真っ黒な空に真っ赤な焔を上げて立ち上る黒煙。瞼を焼いて残る熱さと、怖くて震える手足。車の中から誰かが何かを叫んだ声。呼ばれたような気がしたのは、きっと夢・・・・・・だから?
だけど。
「なんか、あたま・・・いたい」
その夢を思い出したいわけじゃないのに、瞬きでさえ恐怖で染まる。
つかれた。もう、やだ。どうして急にこんな夢みちゃうの?
水でも飲もう、そう思って階段を下りると、リビングから両親の声が聞こえた。普段なら絶対に気がつかないような小さな声だったのに、いろんなことに敏感になっていたせいで、その会話の中に聞こえた自分の名前に引き寄せられた。
―――今日のカイリ、様子がおかしかったのよ。もしかしたら何かのきっかけで催眠が解けたんじゃ・・・・・・。
―――ばかいえ。一体どんなきっかけがあるっていうんだ。音羽の御曹司が傍にいるんだぞ?
―――でもあの子、車の夢を・・・もしかしたらあの事故のことを・・・・・・。
え、なに・・・? 催眠? 事故・・・? ううん、それより音羽の御曹司って、テッタのことだよね?
自分の両親から聞く不可思議な展開の話に、神経が研ぎ澄まされていく。いまだかつてこんなに聞き耳を立てたことなんかない。だけど、その後すぐに父親は閉口し、それ以上のことは何もわからなかった。
一体、どういうことなの? 私は何かを忘れているってこと?
静かに部屋に戻り両親の言葉をただただ繰り返した。
「どうなってるの?」
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