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僕の日記

2月14日

 2月14日(晴れ)




 世の中の男たちが浮かれる心を無様に抑えながら過ごすこの日、僕は深い深いため息から一日を始めた。

 ベッドの下に転がり落ちた雑誌の、紙面に踊るのは雪羽のグラビア。もともとアイドルだったんだ。際どいショットのグラビアがあったっておかしくない。綺麗な足のラインを惜しげもなく見せる雪羽。ほんと、スターの階段を上り続けている。
 時折スタジオで見かけることはあるけれど、あの時僕に見せた不安でいっぱいの表情かおは、いまや微塵も見せることなく仕事をこなしている。

 僕の存在すら、もう記憶にも残っていないんだろうなぁ・・・・・・。

 藤ノ宮の芸能科に進学して、もう二年。中等部からもあわせたらもっと長くこの世界に足を踏み入れているけれど、本格的にドラマの仕事が来るようになったのは、雪羽の出世作となったあのドラマのあと数ヵ月後のことだった。雪羽はどんどん売れていくのに、僕はまだ駆け出し。キャリアの差を思い起こしては、またため息が出る毎日。

「・・・・・・がんばってんだけどなぁ・・・・・・」

 グラビアの特集はまさに今日、バレンタインのデート&告白SPOTだった。
 雪羽が表紙だったから買っただけの雑誌に、読み物を見つけられず、僕はずっと放ったらかし状態。そうさ。僕にとってはバレンタインなんかどうだっていいことだからだ。そんな事より同じフィールドに立ちたいんだ。
 毎日毎日基礎のトレーニングを積んで、演技の勉強をして、撮影現場に足を運ぶ。事務所に所属しているせいで端役のエキストラすら自由に参加することは出来ないけれど、現場でいろんな人の演技を見ることは決して無駄じゃない。現場の雰囲気、スタッフの動き方、監督の特徴、指導の仕方・・・。見るところは腐るほどあるんだ。

 そんな中、テレビ局の廊下で雪羽の声を聞いた。

 声だけでわかってしまうほど、僕の中で雪羽が大きくなっていることに、自分で自分にびっくりした。知らず、広間で休憩している雪羽のほうへと足が進む。
「ゆき・・・」
 名前を言いかけて、ハッと気付く。
 きゃあきゃあと女の出演者どうして盛り上がっている様子の雪羽に、僕は何を言おうとしたんだろう。

 もう、僕が気軽に話しかけられるような相手じゃないのに。

 早く僕も同じ舞台に立ちたいな・・・。
 逸る気持ちは口を噤ませた。








「悠馬くんじゃない。今日も勉強?」
 不意に名前を呼ばれて振り返ると、僕と同じ事務所の先輩がにっこり笑ってこっちを見ていた。
「MAIKO先輩・・・。ああ、はい・・・」
「ホントいつも勉強熱心よね。次の連ドラのオーディションが控えてるんでしょ? 私もそれに挑戦するつもりなのよ。私のほうは歌なんだけど。お互い、がんばろうね」
「はい。僕も早く先輩みたいに知名度を上げたいんです。早く・・・・・・有名に」

 雪羽の声がまだ聞こえている。

 早く、あの舞台に・・・。

「悠馬くん。この業界、スピード出世も大事だけど下積みが一番大事よ。大御所と呼ばれる先輩たちの力の根源はそこにあるんだからね? 焦っちゃダメよ。一生懸命がんばりましょう」
 先輩はそういうと僕の肩をポンと叩いて軽いウインクをして見せた。
 確かにそうなんだ。僕が生きる時間のすべてが僕の糧になるんだ。わかって・・・いるんだけどな。
 先輩の背中が遠くなっていくのを見送って、また一つため息をついた。


 いつの間にか雪羽の声は聞こえなくなっていた。



 僕は大きく息を吸い込んで深呼吸をした。気持ちの切り替えも、僕たちにとって重要な技術の一つ。
 僕は上るんだ。大きな舞台に。
 重いドアを押し開けて入ったその場所は、僕自身、今度オーディションに挑戦させてもらう予定のプロデューサーが総指揮を執っている、今期一番話題のドラマだ。
 そして、いままでにも何度も映画化されているこのドラマの次回作に、僕は挑戦する。今度こそ僕のネームバリューになるはずの、本気の勝負をかけたオーディション。そのために監督の癖や好みを知っておかなければならない。

 僕は絶対に負けられない。

 スタジオの端っこで、睨み殺すように現場の雰囲気を記憶する。
 僕はこの雰囲気で生き残れるだろうか。
 僕という人物はこの人の作品と同化できるだろうか・・・。望まれるだろうか・・・・・・。
 監督の怒号に、僕は急に不安になって手が震えた。まるで視界が真っ黒に閉ざされたような、恐怖に似た感覚。


 おかしいな。
 いままでそんな風に思った事なんてなかったはずなのに・・・・・・。


 見えているはずの景色が遠く感じた、その瞬間。肩を叩く軽い刺激と共に懐かしい声が聞こえた。
「やっぱり、悠馬くんだ」
「・・・・・・・・・・・・雪羽・・・さん?」
 暗闇の恐怖から僕を救い上げたのは、変わらない笑顔の雪羽だった。
「やだなぁ、雪羽<さん>だなんて他人行儀」
 雪羽は笑顔のまま僕の隣に椅子を引いた。雪羽が動くたびに、ふわり、フローラルの香りが漂う。
「い、いえ・・・。すみません。でも、お元気そうで何よりです」
「んもう、悠馬くんたらそうやって畏まっちゃって。弟のくせに寂しいコト言わないでよ」
「で、でも・・・」
「そんな態度されちゃうとなんだか悲しいよ。MAIKOちゃんに悠馬くんの事聞いて飛んできたのに・・・。悠馬くんに会えて嬉しかったのは私だけみたいじゃない」
「え・・・?」
 雪羽が、僕に・・・?
「あーあ。あのドラマ以来全然接触無くって寂しかったのに、会ったら余計に寂しくなっちゃったなぁ・・・」
「ご、ごめん・・・な、さい」
 嘘みたいだ。
 いや、もしかしたら夢かもしれない。
 雪羽が僕に会いに来るなんて。
 僕は急に早くなった心臓の音を感じながら、ちらりと雪羽に視線を移した。雪羽は僕の視線に気付くと、またにっこりと笑った。
「元気だった? 悠馬くん」
「・・・・・・・・・・・・」
 期待のこもった目で僕の返事を待つ雪羽。
 僕は意を決して気持ちを切り替えた。
「元気だったよ。雪羽・・・さんはどんどんスターダムを伸し上っていってるよね」
「ふふ、雪羽でいいよ。さん付けは私がいやだし、“ねえちゃん”はもう、言いづらいもんね」
「え、で、でもさすがに呼び捨ては・・・」
「そんなの気にしなくって大丈夫よ。MAIKOちゃんも呼び捨ててくれてるわ。それに、私は今まで雪羽ちゃんってかわいがられていたけど、これからは女優、雪羽としてがんばっていきたいの。演じることの大変さ、だからこそ必要な心構え、それを教えてくれた悠馬くんは、私にとって目標なんだから」
 目標・・・?
 こんな下っ端の僕が、雪羽の目標・・・?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕のことなんてもう忘れてると思ってた・・・」
「え? どうして? 私を変えたのは悠馬くんなのに、忘れるわけないじゃない」
 まっすぐに見つめてくれる雪羽。
 どうしよう、やっとの思いで沈めた気持ちが、また一気に込み上げてくる。

 がんばれ、僕。
 踏ん張れ、僕。
 いま決壊したら何もかもがダメになる。

 そう思うのに。今、僕だけに向けられる笑顔がまぶしくて仕方がない。

 ちくしょう、やっぱり僕は雪羽が好きだ。

 いえない気持ちを抱えて、僕は雪羽から目をそらした。そうでなきゃ呼び捨てなんか恥ずかしくて顔が赤くなるのを隠せない。
「何言ってんだよ。雪羽は僕なんかよりもずっとキャリアのある芸能人じゃないか」
「あはは。悠馬くんより少し長くここにいるだけだよ。あの頃の私は自分で立ってなんかいなかったもの。皆がいなくなって、初めて自分の無意味さに気がついたくらいよ」
「雪羽・・・」
 途端に暗くなった雪羽の表情に、僕はハッとした。

 そうだった。昔雪羽がやっていたアイドル時代の暗い過去。いまはもう取り沙汰されることもないが、ウェザーハート時代のの猟奇事件は当時メディアを騒がせていた大きな事件の一つだった。
「ごめん、雪羽」
「ううん、いいのよ。もう昔の話だし。それにね、雨音ちゃんと手紙のやり取りをすることもあるの。雨音ちゃん、お母さんになったんだって」
 大切そうに胸に手を当てる姿は、とても綺麗だった。
「そっか」
「ねえ、悠馬くん、今日って何の日か知ってる?」
「え・・・? あ、うん」
「もう誰かから貰った?」
 バレンタインのチョコ。そういって胸の前でハートマークを作って見せる雪羽。

 貰うはずない。

 今日、僕はずっとこうやってスタジオのはしごをし続けて、人と話すのなんかさっきのMAIKO先輩が初めてだったんだから。
「そっかぁ。じゃあこれ、受け取ってもらえるかなぁ?」
 雪羽がコートのポケットから小さな包みを取りだして僕に差し出す。

 僕は一瞬何が起きているのかわからなかった。

 え? なに、これ。まさか、チョコ・・・? 雪羽から、チョコ!?
 水中で空気を探す金魚のように、僕は虚空を食んだ。
「感謝の気持ちを込めて。それから、お互いに高みへ向かうために、愛を込めて」
「あ・・・ありが、とう。すごく、うれしい」
 ヤバイ、これ夢じゃないよね?
 感謝の気持ちでも、高みでもなんでもいい。僕は最後の言葉にすべての心を奪われていた。
「えへへ。よかったぁ今日会えて。会えなかったら事務所に送ろうと思ってたんだ☆」
「え?」
 送ってまで、僕にくれるつもりだったの?
 にっこり笑う雪羽が少し照れくさそうにしていた。

 僕は忘れられてなんかいなかったんだ。

 一人で勝手に距離を感じて、雪羽を遠い存在だと諦めて・・・。まったく、僕は一体何をしてるんだろう。


 僕はやっぱり雪羽が好きだ。

 だから一緒に高みに行こう。この世界で出会えたこと、奇跡とか偶然とかじゃない。きっと必然なんだから、僕たちはこれからたくさん成長して、互いを磨いて、絶対に同じフィールドで笑い合えるようになるんだ。


 そう思ったら、芝居がしたくて仕方がない気持ちになっていた。
「雪羽、僕今度「政界戦術」のオーディション受けるんだ。必ず勝ち取って雪羽と同じ舞台に立つ。いつか雪羽と主役張れるくらいの役者になるよ。見てて」
「悠馬くん・・・。うん! 私も負けないようにがんばる! アイドル上がりだなんて言わせないような立派な女優になるから。それまで共闘だね」
 「共闘」だなんて言葉が出てくるとは思わなかった。
 そっか、競争じゃなくて、共闘なんだ。この厳しい世界を突き進んでいくために、僕たちは違う場所でも一緒に戦うんだ。
 そう思っていいんだよね。
 僕はまた、雪羽に背中を押された気がした。

 世の中はバレンタイン。
 男たちは浮き足立ち、女たちは機会を狙ってそわそわしている、そんな一日。


 だけど僕らは互いの夢のために前へ進む。その決意を共に交わす一日になったんだ。










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