stray sheep
初恋のかけら
「できないなら、無理にとは言わない。これが俺たちの最後になるだけだ」
ジャズの流れる落ち着いた雰囲気のバーの中で、男はグラスを傾けながらそういった。
「できないなんて、いってないじゃない。気が進まなかっただけよ。・・・・・・やるわ。それがあなたのためになるなら、あたしはなんだってやる」
隣に座る女は伏目がちにそういうと、男に凭れかかるようにしてその腕を絡ませる。好きなようにさせたまま、男は女の髪をなで、静かに唇の端を持ち上げた。
「そういえば・・・・・・」
男は内ポケットから数枚の写真を取り出すと、テーブルの上に伏せて置く。女がそれをそっとめくると、小太りな男が刃物を持って見知った男と組み合っている姿だった。
「これは・・・」
「面白い写真だろう? こいつは確かに俺との約束を守っている。だけど、この目は俺を裏切っていると思わないか?」
一人の少女をかばい、交戦するその目は冷ややかだが、少女を見つめる目は熱がこもっているように見えた。
「・・・・・・・・・くん・・・・・・」
女は見知った少年の名を口にして写真を伏せた。耳に揺れる大きなリングピアスが頬を掠る。そんな女を横目に見ながら、男はまた唇の端を持ち上げニヤリと笑う。
「さて、どうしてくれようかな・・・・・・。なあ?」
「・・・・・・・・・」
何かを含んだ物言いに、女は黙って俯いた。
そこそこ分厚いアルバムの中には、小さい頃の自分がたくさん入っていた。一冊目には生まれたばかりの赤ん坊の頃から、二、三歳ごろまでの自分が納められ、二冊目からは見たこともないような草原で同い年くらいの子供たちと跳ね回る自分の姿が納められていた。その中には、近所の人なのだろう、一緒に映る知らない大人や、大きな白いチャペルに、絵に描いたような素敵な家。誕生日のケーキを囲んで笑う両親と大人たち、そして昔よく遊んだ男の子の姿もある。そこここに書きこまれた注釈やコメントを読めばそのときの状況がわかる。・・・・・・だけど、どれを見ても、不思議なことに記憶が繋がらなかった。
「この人たち、だれなんだろう」
パラパラとページをめくるたび増えてくるあどけない表情の自分と両親の友達夫婦。広い庭に放された大きな犬や東屋のその一部に、見覚えのある紋様を見つけた。
「これ、どこかでみたような・・・・・・・・・・・・」
犬の首輪に付けられたチャームと、東屋の扉に付いた紋様は、同じデザインだった。若葉で囲まれた花庵の紋。それは七宝に花菱のカイリの家のものとは違っていた。
「どこでみたんだっけ・・・・・・」
記憶を手繰り寄せようと意識を集中させたとき、靄のようなものが視界を覆い次の瞬間激しい頭痛に見舞われた。
「ッ・・・!」
ガタンと激しい音を立ててアルバムと一緒に倒れこんだカイリは、混濁する意識の中で、目の前に広がるアルバムの最後のページに目を向けた。
「え・・・・・? ・・・・・・なに、これ・・・・・・・・・」
最後のページに記された見覚えのない字。けれどその文字の中には確かに、
“愛しい娘カイリと妹夫婦”
そう書かれていた。一緒に映っているのは両親と自分なのに、妹夫婦・・・・・・? ぼうっとした頭のまま、カイリは写真についている短い文章を目で追った。
“今日はカイリの4歳の誕生日。ユメカたち妹夫婦が大きなケーキを持ってきてくれました。ハッピーバースデイ。私の愛しい娘、カイリ”
「ユメカたち・・・・・・妹夫婦・・・・・・・・・?」
ユメカってお母さんの名前だよ・・・・・・・・・? これ、誰が書いたの・・・・・・?
そう思った途端、今までのページに映っていた”両親の友達“が頭をよぎった。
まさかね。
そう思いながら、カイリはページをめくっていく。そこここに映る穏やかな笑みをこぼす女性にラフなスタイルで幼いカイリをあやす男性。カイリは自分の手が震えていることに気づかずにいた。
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