stray sheep

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初恋のかけら

 カフェテリアの二階にいると電話が来たのはそれから二分後のことだった。着信の音楽が流れるまでそういう方法があることに頭が回らなかったのもどうかと思うけど、電話に出た発信相手の名前を見て、真っ先に罵倒したのもどうかと思う。私、実はそうとうな天邪鬼だったみたいだ。
「カイリさん、こっちこっち」
「なによ、あんた私中等部初めてなんだか・・・ら」
 手招きするテッタの横には見知らぬ男。だれ?
「初めまして」
 柔らかく笑うその男はソムリエみたいな前掛けをして、詰襟の白いブラウスを素敵に着こなした、黒髪の映える青年だった。あら、ちょっと格好いいかも。
「初め、まして」
「カイリさん、この人は俺の二つ上の先輩で伊達さんです。先月からここで働いているんです」
「伊達と申します。今日はこんなかわいらしいお嬢さんを紹介してもらえて光栄ですよ」
「え?」
 紹介? どういうこと?
「俺のおいしい紅茶の正体はこの人が入れたフレーバーティなんですよ。ささ、どうぞ座ってください」
 テッタが慣れた手つきで近くのテーブルに席を勧める。今日は本当に悉くテッタらしくない。もともとすんごい馬鹿なのに急にまじめな顔したり強いトコ見せちゃったりこんな風にジェントルだったり・・・・・・。っていうか、紹介ってなによ。
「テ、テッタ? 紹介って、どういうこと?」
「紹介は、・・・・・・紹介ですよ? 俺の知り合いを、カイリさんに、紹介」
「え・・・・・・?」
 違うよね? 紹介って、ただの紹介だよね? そうだよ、テッタが私にほかの人を薦めるわけないじゃん。だって、テッタは・・・・・・。
「格好いい人でしょう? カイリさんの好みに合うと思うんですよ。きっと二人ならベストカップルですよね」
「・・・・・・え?」
 なに言ってんの? 好みとか、ベストカップルとかって、どうだっていいことだよね?
「伊達さんの紅茶はね、全部オリジナルブレンドなんですよ。カイリさん紅茶好きですよね?」
 ―――そのとき気づいた。笑ってるテッタの顔が、いつもとどこか違っていたことに。
「俺ね、伊達さんとは古いつきあいなんです♪ 伊達さんが向こうに行ってる間も・・・・・・あ、向こうって言うのはね―――・・・」
 やだ、なにが起きているのか全然わかんない。テッタは今、何を話しているの・・・? 紅茶? なに? 伊達さん? 違う、そんな事よりも、どうしてテッタがほかの人を私に薦めるの・・・・・・? 私のこと本気だって言ってたじゃない・・・。さっき、だよ? 私のこと、好きだって・・・・・・言ったよね?
「カイリさん?」
 急に立ち上がった私を、テッタが見上げていた。伊達という人も顔を上げてこっちを見たけど、目が合ったのはほんの一瞬だった。
「私、帰る」
「えっ、カイリさん・・・」
「・・・・・・帰る」
 私を見上げるテッタの顔が、いつもと全然違っていた。その顔を見た瞬間、身体中の何かが上に向かって急速に集まる気配を感じた。
「ごめ、ん。帰る」
「あ、ちょ・・・カイリさん!」
 周りの音全部が雑音でしかないのにテッタの、テッタの声だけがずっと身体の中に響いてきていた。



 どこをどういったのか、休みもせずに走りつづけて、藤ノ宮の駅までたどり着いた。
喉が、すごく渇いていた。
ホームにある―――普段なら絶対口にしない―――水道の水を、襟元が濡れるのもかまわずにごくごく飲んだ。
「んはぁっ、ぁ、ぁぁ・・・・・・・・・・・・ぅ、ッく・・・・・・うぅ」
けれどカラカラになった喉はちっとも潤わなかったし、胸の中をすごく汚い手でかき混ぜられているような気がして気持ちが悪い。
どうしてテッタはあんな顔で微笑うの?
 吐きそうなくらい体の中で何かが蠢き、どうしようも出来なくてただ涙が溢れた。
 どうしてこんなに嫌な気持ちになるのか、判らなかった。判りそうだけど、判りたくなかった。
・・・・・・・・・好きだなんて、認めちゃいけなかったんだ。
「う、ぁぁ・・・・・・あぁ」






「カイリ?」
 無様な格好で水道に凭れかかって泣いていた私の、すぐ後ろからききなれた優しい声が聞こえた。
 振り返ればそこには心配そうに顔を歪ませたアキナの姿があった。
「どうしたの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・アキナぁ〜」
 親友の顔を見て、涙と気持ちが一緒に堰を切って溢れ出した。
「私もうどうしていいかわかんないよ! テッタ、私の事スキだって言ってたよねぇ?! なのになんで? なんで別の人紹介すんの? もう訳わかんないよぉっ!」
 突然のことに驚いて戸惑っていたアキナの腕が、そっと、小さい子供を宥めるように優しく包んでくれた。
「カイリ、やっと気がついたんだね」
「え?」
 にこって笑いかけたアキナの顔がまるで聖母みたいにみえる。
「ねぇカイリ、私辻本先輩と付き合ってるのよ」
 え?
 その瞬間、驚いて涙も止まった。だけどなんでか胸は痛まなかった。ただ、驚いただけ。
「どう、して?」
「うーん。辻本先輩がそう言ったから、かな。私も特に何もすることなかったし。ねぇカイリ。これって辛い?」
 入学以来憧れてやまなかった辻本先輩の彼女が、アキナ?
「こんな水道に凭れかかって泣きじゃくるほど、ショック?」
 頭の中にあるはずの先輩の笑顔を思い浮かべようとするけど、私の頭の中に浮かぶ人影は靄がかかったようにぼんやりして輪郭さえ儘ならない。だけど。
「ねぇカイリ、カイリは音羽君がすきなんだよね?」
 好きな人という言葉ひとつで鮮明に浮かぶのは、否定しようもないテッタの笑顔だけだった。
 自覚したらいけないと今知ったばかりなのに、もう気づいてしまった心はごまかせなかった。
 スキ。そう、私はいつの間にかテッタの事がスキだったんだ・・・・・・・・・。いっつも犬みたいに懐いてくっついてくるから恥ずかしくって邪険にしてたけど、本当は、それがすごく心地よかったんだ―――。こんな風になって初めて気がつくなんて。
「好き、だよ・・・・・・」
「そっか」
 アキナがイイコイイコって頭をなでてくれる。
「それが判って私は嬉しいよ。その気持ちを音羽君に話したらいいと思う。彼がカイリに別の人を紹介したとしても、それはきっとやりたくてやったことじゃないと思うから。ね?」
 やりたくないのになんでやったの?
 そういいたかったけど、アキナの顔を見ていたら言えなくなっていた。
「音羽君はカイリのこと本気だよ。うらやましいって思うほどに、真剣なんだよ。だからカイリ、音羽君の気持ちは疑わないであげて」
「どういうこと?」
「ふふ。それは言えないけど、でも、何があっても必ず音羽君はカイリを助けてくれるから。信じて気持ちをぶつければいいよ。そうしたらきっと、うまくいくから」
 アキナの言ってること、抽象的過ぎて良くわかんないよ。
「ほら、電車きた。一緒にかえろ」
 根拠のいまいちつかめないアキナの助言を聞いているうちに、涙もどこかへ消え去っていた。
だけど、心の中はまだ何かが渦巻いているようで落ち着けなかった。
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