stray sheep

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第三章 「フレーム・イン・ザ・ダークネス」


「話、ですか? 思い当たらないです」

 バクバクする心臓のせいで少し声が震えた気がする。精一杯の平然を装っても、伊達の目を見ることが出来ず視線が泳いだ。
「そう。僕はあると思ったんだけどなぁ。なあ、テッタ?」
「え? なに?」

「白々しい答え方するなよ。彼女の記憶がないなんて、嘘だったんだろう?」



「え・・・?」


「まーくん、それは!」
 テッタが伊達に走りより何かを口止めしようと手を伸ばした。その手は簡単に振り払われ、行き場をなくしたテッタの手が宙に浮く。






 私の記憶がない? どうしてそれをこの人が?


 わけが判らなくて伊達を凝視したが、その視線はこちらを見つめ揺るがなかった。
「そんな嘘で俺をだませると思ったのか?」
「ちがうよ、本当に覚えてないんだよっ、まー君のことだけじゃない、俺のことだってわかってないんだ!」
 何を言っているのか、いよいよ判らなくなった。
 冷たい瞳。それだけで伊達という男の本気が伝わる気がした。
 怖い。
「ならお前はそれをいいことに俺を裏切ったってことなんだろう?」
 伊達はエプロンから小さなナイフを取り出すと、ゆっくりと、その背をすべるように撫で、くるり反転させて指先を傷つけた。
「っ!」
「俺を裏切ればどうなるか、じっくり教えてやるよ。・・・・・・・・・楽しみにしてろよ」
 少しも痛みを感じていないようなその顔。一体何を考えてるの・・・・・・?
伊達のその憎しみに満ちた顔をみているだけで体が震えた。



 ぽたり、床に小さな赤いしみが出来る。



 こわい。こわい。こわい。
 伊達がちらつかせたナイフは、調理用のそれではなかった。銀色の柄に複雑に刻まれた模様が、ますます不安を煽る。
 肩に、暖かい手が触れた。
「まー君、俺は約束をたがえるつもりなんかこれっぽっちもないよ。だけど・・・・・・、だからこそ、カイリさんは守り通してみせる。俺だってあの頃からずっとカイリさんが、カイリさんだけが好きだったんだ」
 あの冷たい瞳から守るように、テッタの背中が視界をさえぎる。いつの間にか広くなった背中は誰よりも強く、たくましく見えた。
「へえ、あのときからだったのかよ。あの時からお前は俺を裏切ってたんだな」
「ちがうっ! そうじゃないよッ!」
 テッタの声が届くより早く、伊達が床を蹴った。スッと姿が消えたかと思うと、もうすでに伊達はテッタの懐に滑り込んでいて、胸倉をつかまれる様にして締め上げられる。

それはメイドカフェで働いていたときに戦ってくれたテッタの動きとは違っているように見えた。まるで抵抗するのをためらっているような・・・。

「ぐ・・・・・・ぁ・・・」

「いやぁっ、テッタ!」
苦しそうに息を吐くテッタの姿。助けたいのに身体が動かない。どうしよう。どうしよう。どうしよう・・・・・・。そうこうする間もテッタの苦しそうな声が耳に入ってくる。
 やだ。こわい。でもどうにかしなくちゃ。
 そう思ってペンケースを握った瞬間、テッタの背中越しに伊達と目が合った。
「・・・ッ!」
「カイリ。俺のことを忘れるって、どうしてだよ」
 伊達の低い声に心臓を鷲掴みされた気がした。
「忘れるって・・・・・・、なんですか・・・・・・・・・?」
 テッタを助けたいのに、伊達の目に捕らわれて少しも動けない。全身が震えているのが判る。
「俺はずっとお前だけを思って生きてきたのに、こんな風に俺を裏切るなんて許せない。許せるわけがないだろ?」
 渡辺先輩が帰り際に言った『気をつけろよ』という言葉が頭の中をグルグルしてる。




 君には太刀打ちできないものだ。




 その言葉の先にこの伊達という男がいるんだ。そう思うともうそれだけで怖くなる。だけど、私が忘れていることってなに? 私の知らない時間の中にテッタやこの伊達という男が関わっていて、さらにアキナの死の真相にもこの男がいる。私はこの人の事や自分のなくした記憶を思い出さなくちゃならないの?
「ほらこいよ。カイリ。お前のほうから俺のところに来るならテッタは許してやるよ」
 人身御供なんてやりたくないし、もともと、自己犠牲できるほど綺麗な心も持ってない。だけど。
「ほん、とうですか?」
 身体は怖くて全然動かないのに、言葉だけが勝手に紡がれていく。もしかしたらなくした記憶を思い出すかもしれない。テッタが黙っていた分、この人は無理やりにでも語ってくれるかもしれない。そう思った。


「だ、めだよ。か…いりさ」
 途切れ途切れの声でテッタが言った。でもあんたは教えてくれないじゃない。私の記憶のこと、アキナの真実。
「どうする? 早く決めないとこいつはどんどん苦しくなっていくんだぜ?」
「だめだよ、カイリさん。あなたのことは、おれ・・・が」
「だまってろっ!」
 そういうと伊達はテッタを力いっぱい殴りつけた。その衝撃でテッタの身体は机や椅子を巻き込んで床に倒れ、派手な音が教室中に響き渡る。
「きゃぁっ!」
 もうどうしていいかわからない。確かにテッタは普通の男の子より華奢に見えるけど、それでもやっぱり男の子なのだ。なのにこの人はこんなにも簡単にテッタを殴り飛ばす。
 もう、怖くてたまらない。
「さあ、どうする? カイリ」
 机の間で動かなくなったテッタを振り返りもせずに伊達はこっちへ歩いてくる。その表情がやけに穏やかで怖い。さっきまでこの人についていこうとしてたのに、情けないくらい手も足も動かない。なくした記憶は一体なんなの? 本当にここまでして取り戻さなくちゃならない記憶なの?
 怖い。怖い。怖い。知りたいはずなのに、なぜかテッタに助けを求めているのはどうして? テッタは教えてくれなかったのに。






 伊達はもう、すぐ側まで来ていた。

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