stray sheep

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第三章

 翌朝、テッタはうちの玄関の前に立っていた。私も、そこに居るような気がしていたから、驚くこともなくただ朝の挨拶を交わした。少しだけ、身体が硬くなってはいたけれど。
「学校いきますか?」
 駅へと続く道を歩きながらテッタが聞いた。だけど二人が乗ったのは藤ノ宮とは反対方向の列車だった。目の前を通り過ぎていく街の風景がやけに遠く感じて、見慣れた景色がだんだんと消えていくのをただじっと見つめていた。


 どこまで行くんだろう。


「カイリさん?」
 電車に揺られて二時間近く経った停車場でテッタが口を開いた。振り返り、目が合うと、テッタはにっこり笑って手を差し出した。


「ここで降りましょう。見せたいものがあるんです」


 降りたことのない駅なのに、少し懐かしいにおいのする街。不思議な感覚だった。
 前を歩くテッタが不意に立ち止まり、振り返った。
「ここで話しましょう」
 止まったそこは、本当に何もないただの空き地だった。
「ここ・・・・・・」
 知らない街の知らない場所なのに、なぜか胸がざわついた。
「弘前公園、跡地です」
 ひろさき・・・・・・?
 ピアノ線を弾いたような音が頭の中に響いた。
 どうしてだろう、聞いたことがある気がする・・・・・・。ひろさきこうえん・・・・・・ひろさき・・・・・・。
「ここで俺たちは初めて会ったんですよ」
「え?」
 かつて公園と呼ばれたその場所は、半分近くが生え放題の雑草に覆われていたが、テッタの座ったベンチの周りだけはきれいに草が踏み分けられていた。
「あの辺りにジャングルジムがあってね。よく上って遊んでいました。高いところが苦手な俺はいつも一番下で二人が上っていくのを見ているだけでした」
「ふた、り・・・・・・?」
「そもそも俺たちが出逢ったのは小学校二年生の頃でした。カイリさんはご両親と一緒にこの街で暮らしていたんですよ。ここは、俺たちの大切な場所だったんです」


 テッタの視線は遠い昔(ところ)を見ているようだった。冷えた風があたりを通り過ぎていく。やがてテッタははっきりと言った。


「カイリさん、あなたの本当の名前は音羽海里。俺の従姉です」


「―――――え・・・・・・・・・?」
 テッタが、私のイトコ・・・・・・・・・?
 思ってもいなかったテッタの言葉に頭がついていかない。一体どういうこと―――? テッタが私のイトコだなんて、そんな。
「あなたの本当のご両親は、俺の伯父です。とても優しくて暖かい人でした。厳しい性格の父と比べたら、本当に穏やかで、俺はカイリさんがうらやましかったほどです。でもそんな二人は俺たちが小学生の頃に・・・・・・、事故で亡くなりました。車のトラブルで炎上したと聞いています」
 車が炎上・・・?
ふと視界を覆う真っ赤な焔が見えた気がした。燃え盛る焔の中こちらに向かって手を伸ばす人の影・・・。
 なに?
 底知れぬ恐怖がこみ上げてきそうだった。
「そしてその後、あなたを引き取ったのがあなたの叔母、安倍ユメカさんです。大人たちの間でどんな取り決めが行われたのかはわかりません。だけどあなたの姓が変わった瞬間から俺たちは引き離されました。二度と会わないように。一人取り残されたあなたの記憶を塞いで」
 淡々と話すテッタの表情は憂えていて、普段とはまったく違っていた。違いすぎて別人なんじゃないかとさえ思う。



いっそ、別人ならよかったのに。すべて作り話で、悪い夢ならよかったのに。



けれど悔しそうにぎゅっと唇を噛むテッタはカイリよりもずっと辛そうで、なにも言葉が見つからなかった。
「さっき言いましたよね? 俺たちは三人でここに来ていたって」
 うまく言葉が出なくて、私はただ頷いた。
「俺とカイリさん、そして・・・・・・・・・まーくん」
 まーくん・・・・・・?
 その瞬間、狂気の瞳でこちらを見つめた伊達の姿が脳裏に浮かんだ。
「まさか、それって・・・・・・」
 知らず、声が震えた。
「はい。伊達正明。――――彼です」
 テッタの瞳が辛そうに揺れた。
 うそ・・・・・・・・・。
「まー君のお父さんは、父がグループを継ぐ前からの部下で、とてもよくしてくれていたんです。俺たちは、毎日陽が暮れるまでこの公園で遊んでいました。その時から俺にとってカイリさんもまー君もかけがえのない大切な人で、なくしたくない人だったんです。そして彼がイギリスに発つとき、約束を交わしました」
「やく、そく・・・」
「まー君が帰るまで、俺はカイリさんの側で、カイリさんを護っていくっていう約束を。だけど伯父さんが事故にあってカイリさんの行き先がわからなくなって、小さい俺にはどうすることも出来ませんでした。そうして過ぎていった数年間、俺は約束を果たせないことが辛かった。だからあの日、満開の桜の中であなたを見つけたときは本当に嬉しかったんですよ。たとえあなたに記憶がなくても、どんなに嫌われていようと、ずっとカイリさんの側で護っていけるって」
「テッタ・・・・・・」
 テッタは感慨に耽るように目を伏せながら話していく。過去を、思い出を大事にしているのがわかった。
「本当は小さい頃からあなたが好きだった。幼い俺にはちゃんと言葉にすることが出来なくて、まー君との約束を守るっていう言葉を利用してあなたの側で騎士を気取っていたのかもしれません」
 あたりを吹く風は地面の緑をさらっていく。
「カイリさん、俺はあのときから・・・、今でもずっと、あなたが好きです。もう抑えられない。まー君にも誰にも取られたくない。だから」
 目を開けたテッタの瞳は、周りの音をすべて掻き消したみたいだった。
「俺の彼女になってください」
「テッタ・・・・・・・・・」
 そっと触れるテッタの温かい掌が包み込むように熱を伝え、知らないうちにその熱は瞳から溢れて頬を伝っていった。
「カイリさん?」
「ごめん・・・・・・ごめんね、テッタ」
 今までひどい言い方をして馬鹿にしてきたことが、恥ずかしくなった。テッタはこんなにも私を想っていてくれていたのに・・・・・・。
 私でいいのかな?
 涙で震えた声で聞いた私に、テッタは温かい胸の熱で応えてくれた。
「カイリさん、本当にダイスキ」
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